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大津地方裁判所 昭和55年(行ク)1号 決定

申立人 園城寺

被申立人 滋賀県収用委員会

訴訟参加人 建設大臣

代理人 小林茂雄 西野清勝 老籾貞雄 吉田一冨

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

第一申立の趣旨及び理由

(申立の趣旨)

一  被申立人が申立人に対し、別紙物件目録記載の各土地につき、昭和五五年五月七日になした権利取得裁決並びに明渡裁決は、当裁判所昭和五五年(行ウ)第一号収用委員会裁決取消事件の判決が確定するまで、その効力を停止する。

二  申立費用は被申立人の負担とする。

(申立の理由)

一  事業認定

建設大臣は、昭和五三年一〇月二五日、建設省告示第一六四八号をもつて、土地収用法二〇条の規定に基づき別紙事業目録記載の事業の事業認定処分をした。

二  権利取得裁決並びに明渡裁決

被申立人は、起業者からの申請に基づき、昭和五五年五月七日、申立人が所有し、かつ、前項記載の起業地に属する別紙物件目録記載一ないし三の各土地につき、権利取得の時期及び明渡しの期限を同年六月五日とし、同目録記載の区分にしたがつてそれぞれ該当する土地を収用ないし使用する裁決並びに同土地を明渡すべき旨の裁決をなした。

三  右各処分の違法性

1 右権利取得裁決並びに明渡裁決は、その先行処分たる前記事業認定処分が違法であれば、当然に違法になる関係にあるところ、右事業認定処分は、その事業計画が土地の利用上適正かつ合理的なものではないから土地収用法二条、二〇条三号に違反し、違法なものである。

2 本件権利取得並びに明渡裁決の対象となつた前記各土地は、天台寺門宗の総本山たる申立人の境内地を構成し、地上の堂塔、伽藍と一体となつて宗教的尊厳を形成するものであるところ、これらの土地は古来、霊山、霊水湧出の神聖の土地として畏敬尊崇され、全山胎蔵界曼荼羅、修験道の山として信仰され、修業の道場として現在に至つているものである。この土地より湧出する水は古来閼伽、八功徳の水、長寿の水、不増不滅の神秘の水として信仰され、申立人の最高の厳儀三部灌頂は必ずこの水によつて行われるものであるし、他の諸儀礼もこの水によつて行われてきたものである。この水は信仰上、霊水として申立人の中心をなすもので、これがなくなれば申立人の別名三井寺はその実を失うものである。このように、右各土地及び湧水は千余年来の伝統の信仰対象、修業の道場としての宗教的価値を担える宗教的文化財である。

本件事業計画によれば、前記各土地にトンネルを堀るというものであるが、右トンネルが堀られたならば地下水がその影響を受け、申立人の境内の湧水は涸渇してしまうことになる。しかるに、被申立人は、前記権利取得裁決並びに明渡裁決申請事件の審理に際し、申立人から右トンネル掘削の地下水へ及ぼす影響について鑑定するよう申請したのにこれを斥け、この点に関する審理を行わず、右各裁決をなしてしまつたものであるから、違法な裁決処分といわざるをえない。

四  本案訴訟の係属

申立人は、昭和五五年五月三一日本件各裁決処分取消の訴訟を提起し、右事件は昭和五五年(行ウ)第一号事件として現在当裁判所に係属している。

五  起業者は本件各裁決にともない、前記各土地の明渡を受けるや、トンネル掘削等の工事にかかろうとしている。

六  申立人の損害

前記各土地及び湧水は、前記三項2記載のとおり、宗教的価値を担える宗教的文化財であるところ、申立人は、右各土地の収用、使用並びに同土地にトンネルを掘削されることによつて、湧水が涸渇させられてしまうなど回復の困難な損害を受けるものである。これを避けるため緊急の必要があるので、本件執行停止を申立てる。

第二当裁判所の判断

一  一件記録によると、申立の理由一、二、四項の各事実が一応認められる。

二  そこでまず本件権利取得裁決の関係について以下判断する。

1  右各記録によると、本件権利取得裁決によつて、起業者は昭和五五年六月五日別紙物件目録記載の収用対象地の所有権及び使用対象地の使用権を取得する反面、申立人は、次のような申立人にとつてかけがえのないしかも代替することが不可能な収用対象地の所有権を喪失し、使用対象地を使用させなければならないという制約を受けることになる。すなわち、右収用及び使用各対象地は、長等山を構成する一部分であつて、同山は古代神山、神体山として民衆に崇拝されてきたものであるところ、その後、智證大師円珍によつて再興されるに至つた長等山園城寺(通称三井寺)、すなわち、申立人に修験道という山岳信仰が導入されたことによつて、同山は聖なる行場とされるに至り、さらに、全山そのままが法身であり仏法曼荼羅を形成するものとして尊崇されるとともに、僧侶の回峯行の場とされるに至り今日に至つた。また智證大師時代には自然神信仰としての泉湧信仰が天台密教の教学の中にとりこまれ、長等山中及びその裾野一帯に広がる湧泉は、霊泉、霊水として信仰の対象とされこれらの水は申立人の営む諸行事に供されて今日に至つている、以上の各事実が一応認められる。

ところで、右のような権利の喪失、使用権の設定をもつて回復困難な損害、つまり本案判決確定の時点において原状回復の不能または困難な損害、金銭賠償受忍の不能または困難な損害といえるのかというと、そうとはいえないものといわざるをえない。すなわち、申立人において、申立人勝訴の本案判決が確定すれば、収用対象地の所有権を回復し、使用対象地の使用権を覆滅せしめることができるものであつて、たかだか前示権利取得の日から本案判決確定の日までの間、収用対象地及び地中の使用対象地を利用しえないという不利益が考えられるだけである。しかして、収用対象地の位置、範囲及びそれの利用状況並びに使用対象地の位置、範囲、利用状況にそれが地中ということを総合すると、右のような不利益をもつて回復の困難な損害ということはできず、他に右不利益が回復困難な損害であるとの認定に供する疎明はなく、結局、右のような損害については、回復困難であるとの点の疎明がないことに帰する。

2  次に、申立人は、本件権利取得裁決によつて被る損害として申立人境内の湧水の涸渇をいうが、その主張自体から明らかなように、右のような事態が発生するのは、起業者が、本件権利取得裁決並びに明渡裁決を前提としてなすところの隧道掘削という公権的事実行為によるものであるから、右のような損害を回避するには、右公権的事実行為の執行を停止すれば足りるものである。

しかして、処分の効力の停止は、処分の執行または手続の続行の停止によつて目的を達することができる場合にはすることができない(行政事件訴訟法二五条二項但書)ものであるから、右のような損害を回避せんがために、本件権利取得裁決の効力の停止を求めることは許されないものというべきである。

三  次に、本件明渡裁決の関係について判断する。

1  明渡裁決は、明渡しまたは移転義務を発生させ、その履行期限を定めるもので、それ自体には執行力がない。義務者が任意に履行しない場合に初めて都道府県知事が起業者の請求によつて、行政代執行法に基づき、義務者に代つて履行をなしあるいは第三者をしてなさしめるという関係にある。

ところで、申立人は、本件明渡裁決によつて申立人の被るところの損害として、明渡対象地の使用不能ということを主張するようであるが、前判示のとおり、右のような損害をもつて回復困難な損害にあたるとの点の疎明がないばかりか、そもそも、申立人の右のような使用不能という不利益が現実化するのは、本件明渡裁決の存在を前提として行われる代執行によるもので、本件明渡裁決と直接の関連がないうえ、右のような損害を回避するには、右代執行を停止すれば足りるのであつて、右損害の発生を理由に本件明渡裁決の効力の停止を求めることが許されないことも前説示のところからして明らかである。

2  次に、湧水の涸渇という損害をいう点についてであるが、これまで説示してきたところから明らかなように、隧道掘削行為を停止すればその目的を達することができるのであるから、湧泉が信仰の対象とされていることを考慮しても、なお、現時点で、右のような損害発生を理由に、本件明渡裁決の効力の停止を求めることは許されないものというべきである。

四  以上の次第で、本件申立は、その理由がないことが明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく却下を免れない。よつて、申立費用の負担につき、民事訴訟法八九条を準用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 小北陽三 大津卓也 小松平内)

別紙 物件目録、事業目録 <略>

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